ハンターエッセー

第9回 正倉院古笛122サイクルの梵鐘の音

築港工場の中庭に梵鐘の一部が展示されています。看板には「昭和21年6月当工場で梵鐘の製作を始めた。解体空母『ほうしょう』の合金スクラップなどを素材につかって、四天王寺の鐘をはじめ、大原美術館の時の鐘等昭和25年6月までに495個を世におくった」と記載されています。

戦時中全国の寺院の梵鐘約4万個が供出されました。戦火にあったものもあります。当時、築港工場には山口円道師が在職していました。師は何とか梵鐘を復興できないものかと工場幹部に提案します。製法が船のプロペラと同様なので取組むことになりました(1)。ただ、製鋳するに当たっては梵鐘の来歴、美術品としての価値、信仰的価値だけでなく近代科学的分析に立脚することとしました。師はこの点が同業他社とは大きく異なり、築港工場の事業が成功した理由だったと述べています(2)。ハンターさんの和魂洋才や挑戦のDNAが感じられます。

写真11 圓性寺の梵鐘

四天王寺南鐘堂の梵鐘銘拓本(3)によると、梵鐘には「昭和廿五年庚寅/二月二十二日」などの来歴のほか、「願主」などの方々や「鋳造委員」の工学や理学博士の名前が記載されています。そして「鋳造所」は日立造船株式会社築港工場と記載されています。また、『復興四天王寺』の「南鐘堂」の項には、「音響監督は青木一郎氏、文様彫刻設計監督は藤原義一博士、鋳物監督は西村秀雄氏。音調は正倉院古笛により、122サイクル」とされています(4)。この四天王寺の鐘の音は、京都の清水寺、長野の善光寺、郡山の如宝寺、尾道の千光寺の鐘とともに昭和25年(1950年)12月31日除夜の鐘として全国にラジオ放送されています(5)

「時の鐘」は倉敷市で現在も時を告げています。その鐘には棟方志功の図案が施されています。また、不知火海を見下ろす小高い丘にある天草市栖本町の「圓性寺」の梵鐘の表には「昭和25年極夏」とあり、内側には「日立造船築港工場謹鋳 鋳工 中川秀三・森山謙一」とありました。梵鐘は全国各地に納められました。

何百年間も平和を願ってきた梵鐘が鋳潰され軍需製品になり、それがまた梵鐘として戻ったことは「仏教で言う輪廻を物語るも」のだと山口円道師は述べています(6)。やはり供出されたハンターさんの銅像も、きっと梵鐘の一部として蘇り、平穏を願う美しい鐘の音として日本中のあちらこちらで響いていると思えてなりません。そして、この響きをハンターさんの挑戦の心と聞く人もいることでしょう。

参考文献

  1. 1『日立造船百年史』昭和60年、日立造船株式会社、248p
  2. 2『日立造船築港工場梵鐘製鋳史』[PDF:16KB]昭和38年、日立造船株式会社
    なお、山口円道師による原文は昭和26年2~4p
  3. 3『四天王寺南鐘堂および引導鐘について』 和宗総本山 四天王寺 勧学部 文化財係 渡邉慶一郎様から2018年1月5日にご提供いただいた資料による。
  4. 4『復興四天王寺』 1981年、総本山四天王寺 (3)の渡邉慶一郎様から2018年1月5日にご提供いただいた資料による。
  5. 5NHK熊本放送局長宮原孝明様にご提供いただいた資料による。
  6. 6『日立造船築港工場梵鐘製鋳史』昭和38年、日立造船株式会社 2P
    なお、山口円道師による原文は昭和26年2~4p

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