第7回 ハンター翁の銅像(前編)
南港本社玄関からエレベーターホールに向かうと正面に日立造船というプレートをつけた台の上にハンターさんの銅像が立っています。フロックコートを着て右手を前に出し、左足を少し前に出した高さ60センチメートルほどの立ち姿です。花崗岩の台石上に置かれています。この像は、桜島本社前に建立された銅像のレプリカで台座背面には「昭和44年6月築港工場製作」とされています。
大阪鉄工所は大正3年(1914年)3月に株式会社として組織を変更し、社長は大阪商船からの山岡順太郎氏、竜太郎は取締役に就任しています。大正5年10月1日に桜島へ本社を移転しますが、これと時期を併せて桜島本社前にハンターさんの銅像が建立されます。「吾社の今日ある実に翁が先見の明とその創業の手腕に帰せざるべからず」と『ハンター翁銅像建設小誌』(1)が述べているとおり、経営を受け継いだ株式会社大阪鉄工所がハンターさんを顕彰するためのものでした。
この銅像は、『百年史』によると「フロックコート姿の立像は高さ3.6メートル、台石は3層で高さ3.9メートル、礎石は高さ0.6メートル・3メートル四方にして12個の石材で構成し、石材は愛媛県大島産の優良な花崗岩を選んだ」(2)とあります。礎石からハンターさんの頭までは8メートル以上もあったということになります。設計及び監督は東京美術学校出身の青木外吉氏に委嘱されました。
銅像の除幕式は11月25日午後2時から挙行されています。愛子夫人、竜太郎夫妻など親族一同、秋月清十郎夫妻などハンターさんと最も関係が深かった方々が来賓として招かれ、株式会社大阪鉄工所からは山岡会長を始め重役及び社員一同が列席しています。残念ながらハンターさん自身は体調を崩して出席できませんでした。亡くなる半年前のことです。
山岡会長は式辞で、銅像建設の目的はハンターさんに崇敬の念を表すとともに、今後この会社で仕事をする者は「翁の高風を仰ぎて景慕奮進の情を起さん」としています。式辞に続いて除幕の紐を孫の龍平が引きます。その後、秋月清十郎が祝辞で、翁は不屈不撓で百難を排して事業をしてきたが、「将来社運愈々発展してよく欧米先進諸国の造船所を凌駕」する時が来るであろうと激励しています。銅像はハンターさんの開拓者魂、パイオニア・スピリッツを忘れるなというメッセージだったのです。
参考文献
- 1『ハンター翁銅像建設小誌』大正6年3月1日、株式会社大阪鉄工所
以下。除幕式に関する記述は本書による。 - 2『日立造船百年史』昭和60年、日立造船株式会社、75p
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